2014年3月18日火曜日

日本のガラス選抜展/東急本店 その他

こちらは東急本店ではなく前回と同じ小さなギャラリーです。場所が近いので行く予定にしていたのですが、タイミングの都合で行けませんでした。ガラスのおひな様はなかなかのアイデア。写真で見ても、どれもお雛様らしい様子がよく出ています。しかしジャンルとしてはやはり人形ではなくてガラス工芸でしょう。


こちらもはがきを頂いたので昨日、久しぶりに渋谷の東急百貨店本店まで出かけてきました。やはり選抜だけあって完成度が高い見事な作品群です。当然ながら、私がガラス学校時代に作ったようなものとは大違い。器などはなく、すべてがオブジェで、多くはLEDランプ付き。これからのガラスのオブジェはLED組み込みが普通のことになってゆきそうです。

日曜日の夕方でしたが、今回の選抜展は比較的規模が小さく、場所が奥まった場所にあることもあってか、行ったときは他に客がおらず、少々入りづらかったで す。入口付近にデパートの男性店員が三人ほど、受付の席らしい位置に女性が一人。入って行くとこの女性が会釈してくれたので、会釈を返して一応タイミング はOK。男性店員の人たちからの視線はなかったものの、こちらがどういう種族というか、まあはっきり言ってどういう階層の人間なのか見定めようとするのは立場上まあ当然でしょう。当方ももういい年 になってしまったので、若いころとはまた違った見られ方をするのは致し方ありません。まあとにかく高額美術品の購入層でもなく、かといって制作への意欲を 持ち続けているわけでもなく、それでもなおかつガラス工芸には少々のこだわりを持ち続けている、気になるというのが正直なところで、少し硬い言葉でいえば 美学的な関心と言えるものかも知れないですね。しかしだれにとっても美学こそが人間を完結させるものといえるのではないか、という考え方も最近読んだ哲学書に触発されて折に触れ反芻している次第なのです。よく、何かと美学、美学と口酸っぱく言う人がいます。気障な印象を受けることもありますが、それなりに納得できる人生観ではあります。

後から子供づれの訪問客が入ってきましたが、 すぐに帰ったようです。帰りの際もそのギャラリー訪問者は唯一人の状況となりました。


渋谷で見る東京の空もなかなかきれいなものです。やはりよく言われるように日本は大気汚染対策が進んでいるのでしょうか。
さすがに今回は会場の写真を撮るわけにもゆかないので街の光景を何枚か撮ってしまいました。かつてならこんなところで街の写真を撮ることなど考えなかったものですが。
最近は渋谷にも縁遠くなり、会場の東急百貨店本店に行くまでにうっかり三叉路を間違えて迷ってしまう始末。この店自体が三叉路にあり、まあ東京全体が三叉路だらけの都市です。しかし広い三叉路やT字路は歩行者にとって街を眺めるには都合の良いものです。


2013年12月10日火曜日

この秋連続2回のガラス展

結構長い期間に及んで自らガラス工芸作家を目指す気持がなくもなかったこともあり、このブログでも何やらガラス工芸の意義とか、目指すべき方向とか、あまり面白くもないことを時々ではあれ書き続けてきましたが、もう歳も歳。もうそういうことは意識せず、これからは訪ねる機会に恵まれたギャラリーや展示会を訪ねた折に率直に目を楽しませていただくことにしたいと思います。とはいえ、意識せずにまた何やら独りよがりのことをつぶやいたりするかもしれませんが。

最初は三越デパートで行われたGLASS今日展
いや本当に年ごとに、見るたびに、美しい作品が増えてきているように思います。去年に見せてもらった大規模なガラス工芸協会展よりも良かったかも。もっともデパートのギャラリーなのであまり前衛的な、個性的な作品は出品されなかったからなのかもしれませんが。とすると当方もやっぱり、あまり個性的で芸術的な作品への理解がない俗物ということなのかも。
こちらは東武百貨店での個展。同じ時期なので当然ですが、上記の今日展と同じ傾向で、同様に余裕があれば欲しくなる作品群です。透明ガラスに金の透かし文様の入った小さな脚付きグラスが気に入りましたが、金ではなく銀だたとのことでした。
やはり三越と東武デパートではかなり個性が異なるようです。デパートとしての個性というより、いろいろな条件が重なった上での違いということかもしれませんが。しかしやはりデパート独自のこせいもあるし、良くも悪くもデパート一般としての個性もある。そんなことなどを一人考えるのもそれなりに面白く、楽しませていただきました。

2013年9月12日木曜日

東京カテドラルと大阪カテドラル

先日、テレビ東京の番組『美の巨人たち』で丹下健三設計による東京カテドラルが紹介されているのを見ました。この建物は近くを通った折に見た記憶がありましたが、傍まで近づいてみたことはなかったので、歩いても行ける距離にあることもあって改めて近くで眺めてみたいものだと思い、先日、夕方になってから行きは地下鉄、帰りのみ徒歩で見にいってきました。と言っても番組をみて特別にこの建築に感動したとか、あこがれる気持ちがかきたてられたというよりも、自分の印象を確認してみたいと思った次第なのです。というのもこの建築は確かに見ごたえのある建築で、眺めて楽しめる見物ではあると思いますが、特別優れているようには思えなかったし、個人的にあまり好きであるとは言えなかったからです。もう一つ確認してみたいと思った理由は、今年の春に大阪のやはり聖マリア大聖堂という建築を始めて見て、建築として結構気に入っていたのですが、その大阪カテドラルと比べてこちらの東京カテドラルがあまりにも違ったコンセプトで設計されたような印象だったので、その違いについても考えてみたかったという次第です。

確かに見ごたえのある美しい造形物で、眺めて面白いのですが、四方に向かって鋭角的に突出して見える点で、個人的には建築としてはあまり好感が持てません。こういう突出のしかたはなんだか攻撃的な感じで、尖塔が真っ直ぐに天に向かって伸びているのとは意味が違うような気がします。形としては面白いと言えますが。

 この種の曲面も、見方によっては薄い板を曲げたのような印象で、個人的にはあまり好きではないですね。巨大であるので見ごたえはありますが。
 
正面エントランスも、個人的には何かエジプトかメソポタミアの神殿か、あるいは城塞のような印象で、カトリック教会的な印象とは少し違うような気がします。こういう造形が現在日本のカトリック信者の心情を表現していると言えるのかどうか、何とも言えませんが。

以下は今年の春に撮影した大阪カテドラル、聖マリア大聖堂玉カトリック造教会。東京カテドラルの印象とはずいぶん違います。どちらもヨーロッパ中世以来の大聖堂とはスケールも造形も大きく異なっているのは当然ですが、こちらの方がカトリック教会的な香りが感じられるし、「聖マリア」の名前にもふさわしいような。個人的に特に気に入っているのは窓のデザインです。たくさんの窓の形と配置が美しいと思います。最近の造形を重視した建築は窓の美しさが忘れられる傾向があるような気もしますが。




設計した建築家は長谷部鋭吉という人物で、今回、ウィキペディアで初めて知りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E9%83%A8%E9%8B%AD%E5%90%89
生年は1885年で、丹下健三氏よりも一回り以上年配ですね。大阪カテドラルが竣工した1963年の3年前の1960年に逝去しています。丹下健三設計の東京カテドラルは1964年落成とのことなので、この二つのカテドラルは殆ど同時に完成していたわけです。当時もちろん私も生きていて十歳は超えていたはずですが、そんなことは全く知る由もなかった。

以前の住友銀行本店であった住友ビルもこの建築家の作品だそうですが、このビルはこれまで結構何度も見たことがあり、成程、とわかるような気がします。清潔な印象が印象があります。

この建築家を紹介した次のサイト
http://www.uma.vc/hasebe/index.html
もそのうち、落ち着いて読んでみたいと思っています。

9月13日追記: 写真一枚の追加です

(9/25 追記)
面白いのは、長谷部鋭吉が東京生まれで最終的に関西で活動したことと、丹下健三が大阪生まれで東京で活動したということ、とは言っても父親の一時的な勤務地に過ぎなかったようで、あまり意味はなさそうです。

2013年8月25日日曜日

『2013エスキース展―創作の内側Vol.2』(IGAA)を訪問

今回は余談が多くなりそうです。

― この日は都議選で、夕方近くなって投票を済ませてから、投票所からそのまま30分ほど歩いて展示会場まで行ってきました。

地図とグーグルマップの写真から予測できましたが、非常にささやかな展示場です。外から展示スペース全体が完全に見えますが、人は見当たりません。ガラスのドアを開けて入ると、右の方通路のような空間から予想通り、担当の方が現れましたので、ちょっと挨拶をして展示品を見せていただきました。―


以上は先月(7月)あたりに書きかけた記事です。今日まで書きかけ保存のままでした。


先月も参議院選挙で同じ投票所に行ったこともあって、ちょうど6月の都議選から一か月目に思い出しながらこの記事を書き始めたのですが、なぜかまたまた書きかけのままに、さらに半月以上が経過してしまいました。その後やや仕事が忙しくなり、また書きかけで放置。

とかく気が滅入ることの多い昨今、まあ先般の二回の選挙などもそうかもしれませんが、ガラス工芸など、工芸や工芸文化にとってもあまりぱっとしない時代になってきたような気もします。そんな現在でも永く作品作りを続けてきたベテラン作家もいれば志をもった若い作家もどんどん輩出しているようです。担当の方のお話でも、ガラス工芸の若い志望者は増加し続けているようです。多くの大学にガラス工芸のコースができたことも大きな要因のようです。

本当にそうなるかどうかはわからないものの、人口も減少傾向が続き、経済的にも衰退し、格差が広りつつあるとも言われる今の日本の現状で、こういうガラス工芸の傾向はどういう意味をもつのかな、などと考えこんでしまうこともありますね。


私自身もかつてガラス工芸をやろうと思って2年間、学校に通った経験があるわけですが、もちろん個人的に動機は様々ではあるとはいえやはり時代に共 通する動機のようなものもあるように思います。その点で今の若い学生や作家も当時も変わっていないのだろうか、あるいは変わっているのだろうかといった関 心を覚えてしまいました。

しかしまあ、こんなことも考えながら書き始めると収集がつかなくなるので、前回からも考え続けていた一つのテーマについてまたちょっと考えてみました。


この展覧会は、エスキース展というタイトルからも想像できるとおり、形式としては殆どがオブジェと言われるところの、機能ないし用途を持たないものが多数派でした。前回から考え続けてきたように、やはりガラスは素材の特徴から言ってそういう方向に向かう傾向を止められないような気もします。しかし、鑑賞者、あるいは購入して所有したいと思う立場からすれば、やはり対象は器を初めとする何らかの機能を持つものに向かう傾向はいつまでも変わらないように思われます。

他方、作者としてはよく「機能を持つもの」は機能という制約があって自由な構想と表現の妨げになるものと考えがちなのではないかと思うのですが、機能を制約というよりも形式と考え、形式の持つ意味、形式自体が持つ表現と言えるものをも取り込み、利用するという考え方も可能であると思います。現実に器などのすぐれた作品では意識的か無意識的かをとわず、あるいは巧まずしてそれが実現できている場合が多いのではないでしょうか。

また、現実に実用になるという局面では、ガラスはどうしても陶磁器にくらべて用途が限られるので、かえって形式として表現に利用するということを意識的に行えるという面もあるかもしれません。

他方、新しい形式、あるいは用途を開発するという行き方もあるように思うのですが、この行き方では意外と展開が少ないように思います。ただ近年、LEDランプの実用化が進んだことで、照明器具の方面で可能性が広がってきたように思います。これは、先般の寺澤氏の展示会でも、前回記事の広沢さんの展示会作品にも何点かありましたが、もっと多様に広がってきても良いのではないでしょうか。蛍光灯はもちろん、白熱灯に比べても工芸的に用いるには圧倒的に有利な点が多いと思います。

前々回の記事にて書籍向きの文鎮を提案してみましたが、それもこのつながりで、見直してみていただければ、まあ個人的には嬉しい限りですが。他にも新しい形式、分野、用途の開発に期待したいところが個人的には大です。

人は誰でも、いわば「宝物」を所有したい気持ちがあるとも言えます。もちろん工芸品に限ったことではないにしても、特に工芸にはその点で他の芸術、特に詩や音楽や演劇などとは異なるところがあるのではないか、という気もします。

2013年6月10日月曜日

WADA TADAMI + HIROSAWA YOKO、ceramic & glass -文京区湯島 COM GALERY にて

タイトルは案内状表書きそのままですが、裏面の日本語タイトルは「陶とガラス 和田忠実 広沢葉子 ― 茶碗とボウル、小さな蓋物 ―」でした。

二三年ほど前でしたか、同じ場所で同じ展示会を訪れました。あまり時代と流行に流されない着実な(私見ですが)お二人の展示会で、特に陶磁器の方は実際に使いたいものを見つけることができるので、実際またここで開かれる事を少々期待していたこともあります。

実際の印象は、特に色調の印象は冒頭の案内状の写真とはかなり違っていたように思います。以下数枚の写真を撮らせていただきました。





 


まあ私のようなまったく優雅とは言えない生活をしている者にとって、実際に使うものを調達するとなるとどうしても陶器か磁器を選ぶ機会が多くなるのは致し方ないですが、それにしてもガラスと陶磁器の特徴がそれぞれよく感じられ、気持ちのよいコントラストが感じられる展示でした。

もうちょっとアップで撮影させてもらえばよかったと多少後悔。

今回の小皿。今回は全般に、皿の外側に模様が入っているのが特徴のようでした。




ちなみにこれは前回購入した急須。今回4番目の写真、二つ並んだ急須の左側がこれと同じ基本形に見えます。どちらが良いかは結局は当然好みとしか言えませんが、選ぶとなると難しいところ。

(5月26日)
 
 

2013年5月17日金曜日

新タイプの文鎮ないしペーパーウェイト ―― 工芸家の方々への提案

ガラスなどの工芸品でこういうものが欲しいのだが、というものが以前からありました。それが表記のように一種の文鎮なのですが、今回ここに、やや具体的に提案させていただこうと思います。簡単に行ってしまえば本のページ押さえということになると思います。ただ、「ページ押さえ」という用語は現在、書見台の部品として使われているようです。


普通、文鎮またはペーパーウェイトと言えば、書道で半紙を押さえるために使う細長い金属製のものか、あるいはガラスや陶器などの底が真っ平らでマッシブな置物風のデザインが思い浮かぶものと思いますが、この種の文鎮は昨今の一般人の現代生活では出番が少なくなってきているように思います。たとえば以前テレビ番組で見たのですが、ドビュッシーが日本の陶器製のカエルの置物を文鎮に愛用して楽譜を書いていたという話がなぜか記憶に残っています。このような芸術家の優雅な作業環境も昨今のOA機器で占領された作業環境ではあまり縁のないようなものになってきたようです。

一方で本、すなわち書籍やノート類はかつてと変わらず現代人の生活にも欠かせないものであり続けているように思います。そのような本を読んだり、参照したりする際、いつも困っていたことのひとつが、開いたページをそのままに保っておくことができない場合が多いということなのです。特に本を参照しながらメモをとったり、パソコンのキーボードをたたいたり、というような場合、本当に困ることが多いのです。記憶力が衰えるにつれ、これは切実な問題ともいえるように思います。

そこで、次のような、書物用の文鎮で工芸品としても魅力のあるものが欲しいなと思うようになった次第です。とくにガラスや陶磁器、特に磁器、あるいは金属など、重量のある素材が適していると思います。重さからいえば金の延べ棒などそのまま使える場合もありそうですが、お金のある人は金やプラチナを使うのも良いかもしれませんね。まあデザインにもよりけりですが、個人的にはガラスか磁器が好みです。

次にデザインコンセプトを3例、挙げてみます。

1.単一平面タイプ
簡単すぎる図ですが、下の二つのアーチ状のものが開いた本のつもりです。これは断面なので、高さは考慮していません






2.2点(あるいは2線または2面)タイプ
本の両側のページを2か所で押さえるタイプです。これが一番コンパクトで実用的なものができるように思います。







3.全面または全幅を覆うタイプ
これは必ずしも本の全体を覆う必要はないと思いますが、それでも大きなものになってしまうのが欠点でしょう。全体を覆うとすれば板ガラスのような材料を使うしかなさそうです



以上は机などの平面上で使うものですが、書見台などと組み合わせるのも一つの可能性と思います。ちなみに、書見台風のものでは筆者も具体的な考案を行い、とりあえずということで特許を出願してしまいました。とりあえず出願しておいたまでで、あまり具体的に考えているわけではありませんが、ガラスや陶磁器や金属工芸との組み合わせもありかな、などと考えることもあります。次のページで公開していますので、一応ご紹介まで。
http://www.te-kogei.com/patent/koho_shomidai.html

以上。

2013年5月15日水曜日

『寺澤彰紘 硝子展』、5月14日、銀座ギャラリー陶悦にて

いつものことながら最終日間近に訪問することになってしまい、当然、残された作品しか見られず、全貌を拝見できることが叶わない状態でこのような記事を書くの申し訳ないかもしれないですが、まあお許し願います。


以前と変わらず、基本的に実際に使える身近な作品というコンセプトで一貫しているように見受けられる作者の硝子展ですが、考えてみればこれは陶器や磁器ではきわめて正統的な行き方なんですね。

ただ、昨年に日本ガラス工芸協会のかなり大規模な展覧会を拝見した印象がまだ多少残っているのですが、やはり、ガラス工芸ではオブジェや機能性を離れた方向に流されてゆく、というか、何かそういう力、中からの力であるか、外からの力であるかなどと考え始めるとまた難しくなりますが、そういう力が働いているのは否定できないような気がします。

今回の展覧会でも目立たないところで、さりげなく新しい試みがされていることが感じられました。照明器具つきの飾り板や小さなオブジェ、文鎮などがその範疇に入るかもしれません。

という次第でガラス工芸はまだまだ流動的で、それだけに楽しみも大きいかもしれません。ただこれからの時代環境が硝子にとってどのようなものになって行くことか・・・


さて、今回は当方、ひとつ思いつきで、このような用途、あるいはジャンルのガラス工芸品が欲しい、という提案をさせていただきました。それというのは一種の文鎮ですが、開いた本を開いたままの状態で押さえることのできる文鎮です。文鎮と言ってよいのかどうかはわかりませんが。

この提案には寺澤氏にも興味を持っていただけたようです。それで当方としてはこの件で来年に期待することとなりました。

この提案については次回、別のタイトルで、少々詳しく紹介させていただこうと思っています。