2008年11月5日水曜日

この夏から現在まで




月に前回記事と同じ寺澤さんの個展を、 月に を訪問したけれども、今まで記事を書きそびれてしまった。理由は時間と怠慢による。その後、ガラス展の招待券を頂いたり、案内を頂いて、見に行くつもりであったのが、仕事などと、不注意とが重なり、それらも行き逃してしまった。招待券や案内を頂いた方々には本当の申し訳ないことをしてしまい、お詫びしなければならない。


(万一この記事を見られることでもあることを期待してお詫び致します。 )



つい最近の展覧会訪問から書き始めると、先日東京国立博物館で大琳派展を見に行った。今特に琳派に興味を持っていたとか、見たいと思ったわけではなく、宗達と琳派の「風神雷神図」が見られるというのでぜひそれらを見たかったからで、この「風神雷神図」を見ての感想はこちらの方にまとめた。http://takaragaku.blogspot.com/2008/11/blog-post.html


もちろん風神雷神図以外の多くの作品が「琳派」の作品群として展示されていたわけで、今回それらはガラス工芸との関連で言えばガレなどアールヌーボーに影響を与えたジャポニスムには琳派的なものがどの程度関係しているのだろうかとか、また現在の日本の工芸家にも琳派のファン、あるいは琳派的といわれるような作風がっているわけでも無かったが、琳派の影響を受けたとか、伝統を引き継いだといわれる傾向はガラス工芸も含めて現在の工芸にも多くある。実際の琳派ではなく、そういうものから逆に琳派というスタイルというか傾向のイメージがあり、それは実際の琳派の傾向に一致しているのだろうかという興味はあった。



現在琳派風とか光琳風とか言うと何となく極彩色できらびやかな印象を持ってしまうのだが、実際の琳派の作品を見てみるとむしろ、形はシンプルで明快であり、色遣いは多くない様に思われる。桜の花もピンクではなく伝統的な白で表現されている。光琳の風神雷神図では原色の赤と緑と白とが強烈だが、こういう強烈な色づかいは例外的に思われる。



金箔や金泥、銀泥が多く使われているのは確かだが、それは琳派に限ったことではなく、屏風や蒔絵の地の色として扱われている場合が多く、特にそれできらびやか、極彩色的な効果をねらってのことではないように思える。着物のデザインも割とシンプルだし、金糸や極彩色が使われているわけでもない。もちろん乾山の陶器も有田焼のような金や赤が使われているわけでもない。 やはり、琳派工芸の特徴はデザインの強さといったものだろう。その強さのために極彩色であるかのような印象になってしまうのかも知れない。



結局アールヌーボーとの繋がりとか現代工芸の琳派風作風とかの繋がりという点では、何か特別な意義があるかどうかはよく分からないと言うより他はなさそうだ。もちろん、琳派そのものにしてもアールヌーボーにしても、日本の現代工芸にしても個々の作品で素晴らしいものもそうでないものも当然ある。琳派風とか琳派の影響とかは考えてもあまり意味がなさそうである。


ついでに言えば、この覧会ではポスターやチケットの図柄は宗達ではなく光琳の風神雷神図が使われており、風神雷神図が琳派のトレードマークであるかのように宣伝されているが、琳派という言い方ではあくまで光琳を中心に考えているわけだから、これはちょっとずれているのではないかと思う。風神雷神図ではあくまで宗達の作品であり、風神雷神図を琳派のシンボルのように言うのはどうかと思う。




次に冒頭に述べたとおり二ヶ月ほど遡ることになってしまうが、

五月の個展は昨年と同じ寺澤彰紘展 展覧会名:吹きガラス寺澤彰紘展 2008.5.9 ~ 5.14 ギャラリー銀座陶悦 TEL 03-3567-1056 中央区銀座1-4-4 ギンザ105ビル4F 、例年の通り銀座、ギャラリー銀座陶悦での個展、但しギャラリーの場所は移転。

昨年のやや渋めの印象に比べ、今回は明るく軽快なものが多い印象であった。 次の、8月に訪問したグループ展を見た後で改めて葉書の写真を見ながら思い出してみて、改めて寺澤さん独自の特色が浮かび上がって来るように思われた。その特徴というのは、あまり流行にとらわれることなく、あるいは流派にとらわれることなく、器に対する日本の伝統的な感覚というか感性というかが、ガラスの器に自然に表れてきている印象である。もちろんこれは他人から見た印象に過ぎないが。ただ、繰り返しになるが、次のグループ展すなわちテーブルオブジェ展を見た後で振り返ってみると、どうしてもそういう印象になってしまう。


8月のグループ展 ― テーブルオブジェ展、GLASS GALLERY KARANIS 南青山 5-3-10。

テーブルオブジェという名称は初めて聞いたが、最初は特に気にも留めずに、単にガラスオブジェの比較的小型で手頃なものかという印象だった。今になって改めてこの語が気にり、グーグルで検索してみると、日本語ではテーブルオブジェという言葉と概念はある程度定着しているみたいである。但しこの言葉と概念そのままでヒットするのは2ページ止まりだから、未だあまり定着した言葉ではないようだ。一方英語の「table object」 を検索すると、イメージ検索で見たのだが、ちょっと見ただけではそれらしい、該当するようなものはヒットしなかった。「table object」 は、英語では事実上コンピュータ用語と言えそうだ。table は「表」のことで、object はプログラミング単位のオブジェクトである。日本語のオブジェがフランス語起源であるように、英語でもオブジェの意味ではフランス語のobjet がそのまま使われていることが、辞書を調べて分かった。フランス語でテーブルオブジェに相当する用語があるのかどうかまでは調べられなかったが、英語で表記する場合も、table object とはせずに、フランス語を使った方が良いのではないかと思う。但し私はフランス語は知らないのでこれ以上は何とも言えないが。


現実の作品はテーブル展示と棚展示の作品とがあり、両者を含めて必ずしもテーブルに置くのが相応しいものばかりではなく、棚に飾る方が相応しいと思えるものもあって、現実のテーブルに飾るには破損する危険が大きいと思われるようなものもある。もっともオブジェではなく花瓶などの器もあり、ギャラリーのお話では必ずしも、オブジェという名前というか、形式に強くこだわっているというわけでもないとのことであった。

作品の多くは非常に高度で多様な技巧を凝らしたもので、思わず目をみはってしまう。ただ、今回のオブジェ展を見てオブジェという形式について考えてみようと、一応は思ってはいたのだが、どうも考えがまとまらなかった、というか、考える糸口、きっかけが見つからなかった。これはもちろんこちらの見る側の問題である。

ただ、後まで印象にのこる、目に焼き付くような作品はやはりシンプルな形のものが多いとはいえる。また飽きが来ないという点でも、おそらくシンプルな形ほど有利だろう。一方、眺めるだけの、実用目的のない、「テーブルオブジェ」としても、やはり器という形式には捨てがたいものがあることも間違いはない。

シンプルな形の作品で特に印象に残っているのは扇田さん作の、家の形をした作品だったが、それは常設展示販売の作品という事であった。ペーパーウェイトにでもなりそうなシンプルさだったが、幾つかの大きさの異なるものが配置されてあったため、最初はセットの作品かのような印象も受けた。

遠い将来、現在のガラスオブジェ作品が骨董品として残るかどうか、考えてみるのもおもしろい。そういう体験ができれるとすれば、なお楽しいのだが。

2008年5月5日月曜日

「ガレとジャポニスム」展、サントリー美術館、5月3日訪問


ガレとジャポニスム、 ―― 多少聞き飽きたテーマでもあったが、しかし、代表的な作品の実物はこれまでに見たことが無かったので見に行くことにした。写真ではなくガレのガラス器の実物は今までデパートの美術品売り場などで見たことが何度かあるが、おそらくガレ自身による代表作では無いものだったろうと思う。

新しくなったサントリー美術館は、ミッドタウンの高層ビル3階から入場する様になっているのだが、以前の建物とは全く違った環境になったようだ。以前はお堀周辺の森を背景にした中くらいのビル全体がまず目に入り、その一階玄関から入場するようになっていた。美術館自体は7、8階だったように記憶している。展示室には端の方にかなり広い窓があって外が見えるようになっており、館内は明るかった。要するに周囲の環境がかなり内部にまで入り込んでいるような感じだった。

新しい美術館はそういう点で全く異なった雰囲気の場所になっている。ビルの入り口は別として、美術館の入り口には玄関らしきものはなく、始めて来ると、非常にわかりにくい場所にある。ビル内の、他の店舗などと区別がつきにくい。

展示室内は窓が無く、照明も展示物用の照明以外には殆ど無い様で、薄暗い。以前の、明るく、窓のある展示室とは正反対だが、美術展示室としてはこちらの方が良いかも知れない。展示物の世界に没入出来るからだ。少なくとも今回のガレ展にはこのほうが良かったようだ。ガレの生きた、活動した場所と時代のなかに多少とも入り込んだ気にさせてくれる。

多くはなかったが、何カ所かに掲げられた解説と年譜は当を得た内容で、興味深く思われた。ジャポニスムに関する話題は美術史上の言葉としてもう聞き飽きたとも言えるぐらいだったのだが、しかしこれまで、まともに考えたことが無かったことに気がつかされたようだ。これは多分に私の個人的な経緯によるものではあるが。

展示物は壁面の連続した展示台に並べられたものと、全周囲から見えるように、個別に展示されたものと二通りあるが、この美術館では個別の展示台が比較的多いようだ。絵画よりも立体的な工芸品を展示する機会が多いからだろう。照明は何れも高い天井の真上からが主で、それ以外に展示台のベース4隅に点光源がついている。鋲の頭のような、非常に小さな光源で、発光体はベースの下に隠されている様だ。多少暗めであったが、この種のものの照明としてはこれで良かったのかも知れない。とにかく室内の照明としては、少なくとも気づかれるようなものは何もなく、展示物だけが照明されるようになっている。これは防護ガラスの表面反射を防ぐためもあるのだろう。これまで美術館では防護ガラスの表面反射のためにせっかくの展示物が殆ど見えず、腹立たしい思いをしたことが何度かある。今回そういうことがなかったのはそういう点が配慮されていたと思われ、好感がもてる。

ガレ自身の作品、主要展示物は年代順にエナメル絵付けから始まっていた。回転体ベース等の器の形ではあるが、かなり複雑な形で大きく厚みのある器に北斎原画の生き物の図柄が金彩を多用した精細きわまりない線描で描かれている。

後の作品は大体、すべて写真集などでおなじみの、ガレ独特の、多用な技法を駆使したレリーフ状、あるいは箔などが埋め込まれた作品群である。写真で見る機会の多かった有名な作品も幾つかあった。写真での印象と同じといえば同じといえる部分もあるし、異なるといえば異なる。基本的にはだいたい同じ印象といえるが、それでも実物はやはり実物である。実物では作者ガレ本人とのつながりを感じることが出来るのである。

ガレ本人のことといえば、今回は展示室入り口付近に掲げられていた年譜を最初から丁寧に見てゆく気になり、順を追って読んでいった。もちろん、この年譜だけではガレがどのような人だったのか、どのような感情をもち、どのようなことを考えて暮らしていたのか、制作していたのかなどが分かるわけもない。それでも年譜に記された具体的な出来事から本人の心の中をはかり知ろうとすること自体が面白い。

年譜から読み取れる限り、ガレの人生は病気を除いては順調そのものであったように見える。葛藤の様なものは見られない。もちろん創作の内部では葛藤がなかったとは考えにくい。

この展覧会の展示を見ながら、また室内を歩きながら、以上のようなことどもを含め、色々なことを考えた。

全部を含めて一言で表現すれば、工芸作品を作ること、工芸家として生きることの意味ということになるだろうか。
個別にいえば、ジャポニスムの意味、ガラスを素材とすることの意味、生き物の形をとらえることの意味、写生の意味、人に習うことの意味、師につくことの意味、教えることの意味、職業の意味、ものを作ることの意味、作ったものを売ることの意味、様々な社交活動の意味、時代の意味。フランス人であることの意味、日本人であることの意味。

こういったことは、私個人にとってはもっと若い頃に早く解決しておくべき問題であったはずだ。しかし今考えたところで収拾がつく話ではない。いつになって考えても混乱の極みである。

結局のところ、運命や使命というもの、あるいは業、カルマというものは確かにある。

ガレには確かにガラス工芸家になる使命があったのだ。

年譜を見るとガレの作品は何度かフランス政府からロシア皇帝への贈り物として用いられている。フランス政府にとってもガラス工芸家としてのガレは必要であったのだ。また、当時、ジャポニスムはある意味で世界共通の言葉の一つになっていたのかも知れない。

他方、ガレ本人にとってガラス工芸とは何であったのか。ガラスとは何か?物質とは何か?生き物とは何か?人間とは何か?心とは何か?・・・・・・・

ガレの仕事は確かにガラス工芸の枠を超えたエポックメーキングな、記念碑的なものの一つに違いない。