2008年5月5日月曜日

「ガレとジャポニスム」展、サントリー美術館、5月3日訪問


ガレとジャポニスム、 ―― 多少聞き飽きたテーマでもあったが、しかし、代表的な作品の実物はこれまでに見たことが無かったので見に行くことにした。写真ではなくガレのガラス器の実物は今までデパートの美術品売り場などで見たことが何度かあるが、おそらくガレ自身による代表作では無いものだったろうと思う。

新しくなったサントリー美術館は、ミッドタウンの高層ビル3階から入場する様になっているのだが、以前の建物とは全く違った環境になったようだ。以前はお堀周辺の森を背景にした中くらいのビル全体がまず目に入り、その一階玄関から入場するようになっていた。美術館自体は7、8階だったように記憶している。展示室には端の方にかなり広い窓があって外が見えるようになっており、館内は明るかった。要するに周囲の環境がかなり内部にまで入り込んでいるような感じだった。

新しい美術館はそういう点で全く異なった雰囲気の場所になっている。ビルの入り口は別として、美術館の入り口には玄関らしきものはなく、始めて来ると、非常にわかりにくい場所にある。ビル内の、他の店舗などと区別がつきにくい。

展示室内は窓が無く、照明も展示物用の照明以外には殆ど無い様で、薄暗い。以前の、明るく、窓のある展示室とは正反対だが、美術展示室としてはこちらの方が良いかも知れない。展示物の世界に没入出来るからだ。少なくとも今回のガレ展にはこのほうが良かったようだ。ガレの生きた、活動した場所と時代のなかに多少とも入り込んだ気にさせてくれる。

多くはなかったが、何カ所かに掲げられた解説と年譜は当を得た内容で、興味深く思われた。ジャポニスムに関する話題は美術史上の言葉としてもう聞き飽きたとも言えるぐらいだったのだが、しかしこれまで、まともに考えたことが無かったことに気がつかされたようだ。これは多分に私の個人的な経緯によるものではあるが。

展示物は壁面の連続した展示台に並べられたものと、全周囲から見えるように、個別に展示されたものと二通りあるが、この美術館では個別の展示台が比較的多いようだ。絵画よりも立体的な工芸品を展示する機会が多いからだろう。照明は何れも高い天井の真上からが主で、それ以外に展示台のベース4隅に点光源がついている。鋲の頭のような、非常に小さな光源で、発光体はベースの下に隠されている様だ。多少暗めであったが、この種のものの照明としてはこれで良かったのかも知れない。とにかく室内の照明としては、少なくとも気づかれるようなものは何もなく、展示物だけが照明されるようになっている。これは防護ガラスの表面反射を防ぐためもあるのだろう。これまで美術館では防護ガラスの表面反射のためにせっかくの展示物が殆ど見えず、腹立たしい思いをしたことが何度かある。今回そういうことがなかったのはそういう点が配慮されていたと思われ、好感がもてる。

ガレ自身の作品、主要展示物は年代順にエナメル絵付けから始まっていた。回転体ベース等の器の形ではあるが、かなり複雑な形で大きく厚みのある器に北斎原画の生き物の図柄が金彩を多用した精細きわまりない線描で描かれている。

後の作品は大体、すべて写真集などでおなじみの、ガレ独特の、多用な技法を駆使したレリーフ状、あるいは箔などが埋め込まれた作品群である。写真で見る機会の多かった有名な作品も幾つかあった。写真での印象と同じといえば同じといえる部分もあるし、異なるといえば異なる。基本的にはだいたい同じ印象といえるが、それでも実物はやはり実物である。実物では作者ガレ本人とのつながりを感じることが出来るのである。

ガレ本人のことといえば、今回は展示室入り口付近に掲げられていた年譜を最初から丁寧に見てゆく気になり、順を追って読んでいった。もちろん、この年譜だけではガレがどのような人だったのか、どのような感情をもち、どのようなことを考えて暮らしていたのか、制作していたのかなどが分かるわけもない。それでも年譜に記された具体的な出来事から本人の心の中をはかり知ろうとすること自体が面白い。

年譜から読み取れる限り、ガレの人生は病気を除いては順調そのものであったように見える。葛藤の様なものは見られない。もちろん創作の内部では葛藤がなかったとは考えにくい。

この展覧会の展示を見ながら、また室内を歩きながら、以上のようなことどもを含め、色々なことを考えた。

全部を含めて一言で表現すれば、工芸作品を作ること、工芸家として生きることの意味ということになるだろうか。
個別にいえば、ジャポニスムの意味、ガラスを素材とすることの意味、生き物の形をとらえることの意味、写生の意味、人に習うことの意味、師につくことの意味、教えることの意味、職業の意味、ものを作ることの意味、作ったものを売ることの意味、様々な社交活動の意味、時代の意味。フランス人であることの意味、日本人であることの意味。

こういったことは、私個人にとってはもっと若い頃に早く解決しておくべき問題であったはずだ。しかし今考えたところで収拾がつく話ではない。いつになって考えても混乱の極みである。

結局のところ、運命や使命というもの、あるいは業、カルマというものは確かにある。

ガレには確かにガラス工芸家になる使命があったのだ。

年譜を見るとガレの作品は何度かフランス政府からロシア皇帝への贈り物として用いられている。フランス政府にとってもガラス工芸家としてのガレは必要であったのだ。また、当時、ジャポニスムはある意味で世界共通の言葉の一つになっていたのかも知れない。

他方、ガレ本人にとってガラス工芸とは何であったのか。ガラスとは何か?物質とは何か?生き物とは何か?人間とは何か?心とは何か?・・・・・・・

ガレの仕事は確かにガラス工芸の枠を超えたエポックメーキングな、記念碑的なものの一つに違いない。

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