2011年5月31日火曜日

吹きガラス寺澤彰紘展2011 5月


今回、案内状に写っている作品群は従来と同傾向ないし延長にあるような作品でしたが、ここに写っていないものでサンドブラストの絵柄をつけた無色透明グラス類が多数出品され、むしろそれらがメインの感じでした。その一つを買い求めましたので、簡単なカメラで撮った写真を掲載してみます。右二つはそれぞれ水とビールを入れた状態でとってみたものです。
      
乾杯したりするには向きませんが、落ち着いて一人か少人数で使うのに向いたデザインですね。クリスタルガラスなので重いですが安定感があって良いです。

日常的に使うことができ、生活の中に溶け込むスタイルは従来どおりですが、もちろん単なる実用ではない豊かさ贅沢さがある。なおかつ古代文字という文化遺産とでも言いますか、そういう普段思いおこことがないようなものにも目を向けられる。その分、さらに心を豊かにしてくれる器です。

2011年5月23日月曜日

行けなかったガラスアート エクシビション

今はもう5月も末になってしまいましたが、3月に開催された東京ガラス工芸研究所創立30周年記念卒業生ガラス作家展の案内状を4期同期生の工藤さんを通じて送って頂きました。ちょうど開催期間中にあの地震があり、開催地の川崎市中原区の川崎市民ミュージアムもかなり揺れたものと思います。後から、地震後もなんとか開催を続けられたとのことを伺いましたが、結局、残念ながら行く機会を逸してしまいました。この案内状のデザインは故佐藤潤四郎先生のデザインからとられた事が分かります。赤と白のバランスの取れた背景にこの独特の線画デザインはやはり美しいですね。

すでに、今日までにこの他2つの展覧会ないし個展を見ていますが、日を改めて印象記を書きとどめておきたいと思います。

2011年5月11日水曜日

「白州正子 神仏、自然への祈り」― 世田谷美術館

(今回からこのブログのタイトルをこのように変えました。つまり「ガラスギャラリー訪問記」であったのを「ミュージアムとガラスギャラリー訪問記」とし、ミュージアムを追加した形です。もともと更新頻度は少なかったのですが、なんだか、ミュージアムのほうがメインになって行きそうです。寂しいと言えば寂しいものがあります。結局の処、ガラス工芸にあまり関わる事ができないままに年を重ねてしまったという事ですね。)


さて、もう一月ほど経ってしまったが、最近まで世田谷美術館で開催されていた「白州正子 神と仏、自然への祈り」という展覧会を見にいった。何か収まりの悪いタイトル。チケットやポスターを見ると「白州正子」という個人名だけが目につき、展覧会のタイトルとしては妙な印象を受る。個人の作品展ではないから、「白州正子展」とするわけにも行かないので仕方がない面もあるが、もっと長たらしくなってもいいので適切な表現はないものだろうか。副題として「白州正子記念展」とでも、いくらでも言い様はあるような気がするが。

さて、この特別展のことはNHKの日曜美術館で紹介されていたことで知ったわけだが、ちょっと行くのを億劫に思っていたところ、どうしても行かねば、という気になったのは「日月山水図屏風」が展示されていることが決定的となった。実をいうこの作品を最初に知ったのは私がまだ二十歳前後であった頃にかなり大部な日本美術全集をそろえた時である。作品名や作者や歴史的いわれなどを記憶していたわけでもないのだが、とにかくこの作品がすぐに好きになり、強く印象に残って忘れずにいた。。その後、京都の国立博物館のショップで屏風に仕立てたこの作品の複製が売られていたのを見た記憶がある。勿論かなり高価で買えなかったが、それ以来、この作品は京都国立博物館の所蔵品であると思っていた。今の住居には件の美術全集はないのでこのことを確かめる事もなかったのだが、今回の展示でこれが金剛寺というお寺の所蔵であることを知ったことも1つの感慨のあるものだった。というのは金剛寺という名のお寺は調べて見ると沢山あるが、この金剛寺は私が若い当時には行こうと思えばいつでも行ける処にあったにも関わらず、その存在を知らなかったことだった。河内長野市にも何度も行ったことがあるし、近くの金剛山や葛城山は遠足やハイキングの常連コースであったのだが、このお寺のことを知らなかったことに少々悔しい思いがした。

とにかくこの作品にお目にかかることができた。勿論、美術全集の写真で記憶に残っていた印象そのままではない。記憶ではやはり美化されているというか、金や銀が使われている色彩的なきらびやかさが印象に残っていたが、実物ではやはり、紙の古びた色調や絵の具の剥落とか、まあ欠陥も目につくのは仕方が無いことだろう。一方、実物であるだけに細部が良く見え、夥しい数の松の木一本一本の曲線や形の優美さが、あらためて感動ものであった。江戸時代以降のパターン化した陳腐な松の形や曲線ではない新鮮さと気品がある。著者がこの絵と宗達を比べて「残念ながら彼にはもうこの屏風からほとばしる気韻と新鮮さはない」と言っているのもこういう事だろうと思う。ここでは宗達の桃山時代と比較しているわけだが。

また、記憶では右双の夏景色だけだったのだが、左双の冬景色もあった。こちらもそういえば記憶にあったような気もするが、何とも言えない。今その画集をあらためて見ると、思い出すかも知れない。
ちなみにこの絵はウィキペディアで見られるが、人工的に色を加えてあるようだ。原画では古びた紙のいろの部分が白色になっている。

この絵を見たくて来たのだが、勿論他の諸々の展示も良かった。特に木彫の神像が沢山あったが、仏像とは異なるこういった神像はやはり、本来の日本人の顔立ちでもあるし、木の感触がそのまま感じられるのでもともと好きである。この種の木彫は中世ヨーロッパの木彫にも共通するものがあるように思う。どうしても以前に国立西洋美術館でみた「聖なるかたち」という展覧会で見たゴシックのマリアや天使や聖人などの木彫を思い出し、比べてしまうのだが、勿論木彫であることと時代の古さ、宗教的な像であることなどを含め、共通点もあれば異なる点もある。専門的な観点で比較して見るのも面白そうだが、いずれにしてもこの種の木彫には心が安まるものがある。



今回の展示ではどの展示品にも、原稿用紙を拡大したデザインの展示板に活字体で著者の文章が載せられていた。展示物も最後に近づいてきた処で、その展示板の文章に視線が導かれたとき、すぐに高野山という言葉と天野という言葉が飛び込んできた。天野という地名は全国どこにでもありそうである。現に先ほどの金剛寺にしても河内長野市天野という土地であり、正しい名称は天野山金剛寺というそうである。しかし高野山に近いところで天野という土地という事は・・・もしかしたら、と思ってさらに読んで見た。後で購入した図録から採録すると、こういう風に書かれていた。「天野大社は、言ってみれば高野山の奥の院に当たるのだ。・・・・この辺りの伝承では丹生都比売は天照大神の妹ワカヒルメで紀州を巡歴した後、この地に住み着いて亡くなった。そこからワカ山、ワカノ浦などの地名も出たというが・・・」という調子で続く文章。さらに天野という土地の美しさを称えるくだりもあり、後から見た図録には「・・・私は天野に隠居したいと思っているくらいである」というフレーズが引用されている。

実はこのとき、この天野という土地は私の母が子供の頃に住んでいた土地に間違いないということに気付いたのである。

というのは、母の生前、「あまの」という夢のような古里の話を何度か聞かされた事があるのだが、ついに一度も連れて行かれることもなく、詳しい話を教えられることもなく終わってしまい、この地名を思い出すことも殆ど無いままに今日に至ってしまったのである。多少詳しいことも話されたかも知れないが、子供の時でもあり、覚えていないのだろう。ただ桃源郷のような、という便利な言葉を使ってもいいかもしれないが、少なくともある種、夢のような土地のイメージだったのである。しかし、それにしてもこのような由緒深く大きな、大社と呼ばれる神社があるという話は一切聞かされた記憶がないというのはどういう事だろうか。話はしたが、話す方も聞く方の私も、神社というものにそれ程関心がなかったので記憶に残らなかったのかも知れない。また、母の父親がキリスト教徒であったた事も関係しているのかも知れない。いずれにせよ、和歌山市や高野山には何度も訪れた事があるにも関わらず、この天野の里と丹生都比売神社という、今では世界遺産にもなっている土地や神社の事は今回の事をきっかけにネットで調べるまで、全く無知だったのである。

後日、図録の他に当然のようにインターネット検索とグーグルマップで調べたが、次のサイトにこの神社への参道の道順と写真が掲載されている。
JR和歌山線の妙寺という駅が出発点になっている。そういえば「みょうじ」という駅から行くのだという事は聞かされていたことを思い出した。

このウェブサイトの写真を見ると確かに、天野大社は壮麗とも言える程の神社であり、天野の里も、間違いなく高原に開けた美しい盆地のようだ。他に幾つもの史跡の紹介と写真もある。高野山にも縁が深い場所柄、こういう話はいくらもあって当然だが、西行の妻と娘がこの地で出家したということなども知るとやはり感慨は深い。少なくとも「西行」という、彼女の著書は買って読もうと思った。

という次第でなぜか自分の故郷を訪ねるような印象になってしまったが、勿論、今回の展示物の範囲は大阪と和歌山だけではない。京都、奈良、滋賀、と近畿地方全域に及んでいるが、特に滋賀県、すなわち近江の仏像について著者(今回の展示の場合、著者というほか無いだろう)の思い入れの深さが強調されていたのが印象にのこっている。確かにこの地域についてはかなり歴史的に重要であるわりには紹介されることが少ないだけに、私にとってもかなり興味深いというか、どことなく気になる、世界である。

展示物の印象については以上。

今回のこの展示は美術展としてはかなり異色である。「白州正子 神仏、自然への祈り」というタイトルの通り、白州正子の、といって良いのかどうか判らないが、神仏、自然への祈りというテーマであって展示物そのものではないという印象がある。この神仏、自然への祈り、というテーマは大きく重いテーマであると同時に今日的なテーマでもある。自然信仰というのは、この展覧会では特に日本人に特有の信仰心として取り上げられているが、日本とは違った形、あるいは問題を含んだ形で世界的な傾向でもある。これに関しては数年前、別のブログの記事 http://d.hatena.ne.jp/quarta/20071203#1196666713 で取り上げたのだけれども西欧の一部で「ポスト・キリスト教」と区分される宗教があり、そこではキリスト教の神がマザー・ネイチャーという女神に入れ替わっているという、米国の分子生物学者の著書がNYタイムズで紹介されていたのである。その後この件でその著書を読むとかそれ以上の詮索をしたわけではないが、気になるテーマであり、今回の、日本における自然宗教との比較という点でも興味深いテーマであると言える。

今回の著者やその周辺に関わる事を含め、この続きは別のブログに引き継いで、機会をみつけては考えたことなどを綴ってゆきたいと思う。たぶんブログ「意味の周辺」になるだろうと思う。