2013年8月25日日曜日

『2013エスキース展―創作の内側Vol.2』(IGAA)を訪問

今回は余談が多くなりそうです。

― この日は都議選で、夕方近くなって投票を済ませてから、投票所からそのまま30分ほど歩いて展示会場まで行ってきました。

地図とグーグルマップの写真から予測できましたが、非常にささやかな展示場です。外から展示スペース全体が完全に見えますが、人は見当たりません。ガラスのドアを開けて入ると、右の方通路のような空間から予想通り、担当の方が現れましたので、ちょっと挨拶をして展示品を見せていただきました。―


以上は先月(7月)あたりに書きかけた記事です。今日まで書きかけ保存のままでした。


先月も参議院選挙で同じ投票所に行ったこともあって、ちょうど6月の都議選から一か月目に思い出しながらこの記事を書き始めたのですが、なぜかまたまた書きかけのままに、さらに半月以上が経過してしまいました。その後やや仕事が忙しくなり、また書きかけで放置。

とかく気が滅入ることの多い昨今、まあ先般の二回の選挙などもそうかもしれませんが、ガラス工芸など、工芸や工芸文化にとってもあまりぱっとしない時代になってきたような気もします。そんな現在でも永く作品作りを続けてきたベテラン作家もいれば志をもった若い作家もどんどん輩出しているようです。担当の方のお話でも、ガラス工芸の若い志望者は増加し続けているようです。多くの大学にガラス工芸のコースができたことも大きな要因のようです。

本当にそうなるかどうかはわからないものの、人口も減少傾向が続き、経済的にも衰退し、格差が広りつつあるとも言われる今の日本の現状で、こういうガラス工芸の傾向はどういう意味をもつのかな、などと考えこんでしまうこともありますね。


私自身もかつてガラス工芸をやろうと思って2年間、学校に通った経験があるわけですが、もちろん個人的に動機は様々ではあるとはいえやはり時代に共 通する動機のようなものもあるように思います。その点で今の若い学生や作家も当時も変わっていないのだろうか、あるいは変わっているのだろうかといった関 心を覚えてしまいました。

しかしまあ、こんなことも考えながら書き始めると収集がつかなくなるので、前回からも考え続けていた一つのテーマについてまたちょっと考えてみました。


この展覧会は、エスキース展というタイトルからも想像できるとおり、形式としては殆どがオブジェと言われるところの、機能ないし用途を持たないものが多数派でした。前回から考え続けてきたように、やはりガラスは素材の特徴から言ってそういう方向に向かう傾向を止められないような気もします。しかし、鑑賞者、あるいは購入して所有したいと思う立場からすれば、やはり対象は器を初めとする何らかの機能を持つものに向かう傾向はいつまでも変わらないように思われます。

他方、作者としてはよく「機能を持つもの」は機能という制約があって自由な構想と表現の妨げになるものと考えがちなのではないかと思うのですが、機能を制約というよりも形式と考え、形式の持つ意味、形式自体が持つ表現と言えるものをも取り込み、利用するという考え方も可能であると思います。現実に器などのすぐれた作品では意識的か無意識的かをとわず、あるいは巧まずしてそれが実現できている場合が多いのではないでしょうか。

また、現実に実用になるという局面では、ガラスはどうしても陶磁器にくらべて用途が限られるので、かえって形式として表現に利用するということを意識的に行えるという面もあるかもしれません。

他方、新しい形式、あるいは用途を開発するという行き方もあるように思うのですが、この行き方では意外と展開が少ないように思います。ただ近年、LEDランプの実用化が進んだことで、照明器具の方面で可能性が広がってきたように思います。これは、先般の寺澤氏の展示会でも、前回記事の広沢さんの展示会作品にも何点かありましたが、もっと多様に広がってきても良いのではないでしょうか。蛍光灯はもちろん、白熱灯に比べても工芸的に用いるには圧倒的に有利な点が多いと思います。

前々回の記事にて書籍向きの文鎮を提案してみましたが、それもこのつながりで、見直してみていただければ、まあ個人的には嬉しい限りですが。他にも新しい形式、分野、用途の開発に期待したいところが個人的には大です。

人は誰でも、いわば「宝物」を所有したい気持ちがあるとも言えます。もちろん工芸品に限ったことではないにしても、特に工芸にはその点で他の芸術、特に詩や音楽や演劇などとは異なるところがあるのではないか、という気もします。

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