2012年3月10日土曜日

ガラスの小盃の写真


しばらく記事を更新していませんでした。ここでちょっと拙い写真でも載せてみることにします。実のところ、今回の記事は別のブログのために書いたものですが、当ブログのカテゴリーにも該当しますので、重複してこちらにも掲載することにしました。主題の小盃(展示されていたタイトルを覚えていればよかったのですが、ワイングラスとも言えないし、大きさから考えてとりあえず小盃としておきます)は前回の記事で取り上げた展示会で買い求めた広沢さんの作品です。ちなみに奥のほうに写っている陶器はやはり本ブログ2010年5月の記事で取り上げた展示会で買い求めたもので、和田忠実さんの作品です。

写真と文字、音楽と工芸




二か月ほどまえ、ちょっとしたついでの折に、携帯のカメラで何枚かの写真を撮った。それというのは、以前購入したガラス工芸作家の小品である小さな盃に白ワインを注いでみたのである。そうすると、うす黄色い透明なワインが注がれると、いかにもぶどうの果実を思わるように見えたのである。といっても普通の赤紫色をしたぶどうの外観色ではなく、皮をとったぶどうの粒か、それともマスカットのような色である。とにかくその器に注いだものをみるとぶどうの粒のような感じがして面白いものだなと思い、ちょっと写真をとってみたのである。しかし器が小さいのでそれひとつを撮るのも寂しいと思って、近くにあったものをとり合わせて何枚かとってみたのだが、撮った結果を見るとその時はどれもつまらない写真にしか見えず、そのままにしておいた。それをつい最近、携帯電話の画面で何気な見てみたところ、結構いいではないか、と思うのが一枚だけあった。それがこの写真である。もちろん自分でちょっといいなと思っただけで、他人が見てもいい写真に見えるとは思っていない。ただ、下にまとめた4枚の写真よりは写真として出来がいいと思ってもらえるのではないかと思う。


なぜこれだけがいいと思ったのか、考えてみると、他の写真と同様にCDケースと組み合わせて撮っているのだが、これだけは実はCDボックスであり、テーブルの上に立てることができたのだった。それでBEETHOVENの文字が上部の正面から右半分を占め、はっきりと読むことができ、写真全体のタイトルであるかのようにさえ見える。少なくとも文字の意味するところのベートーベンという人物のことが直ぐにわかるようになっている。CDボックスの四角い形とあいまって、その時はなにかモニュメントか墓碑のように見えたのかも知れない。そしてワインの盃はお供えのように見立てられたのである。撮るときはそんなことまで考えたことはなかったのだが。

下の、CDが写った写真では、構図的にも収まりが悪いが、ただありあわせのCDをなんとなく、特に意味もなく組み合わせただけという感じで、大した意味が感じられない。

やはり写真も、より具体的な意味が読み取れることでこそ、美しく見えるのだということに改めて気付かされたような気持ちである。とくに文字が映される場合、文字の意味がやはり重要な意味を持つのだなということである。文字の意味といってももちろん受取り手によって様々である。これがベートーベンとは気づかれない場合もあるだろう。しかしその場合でも、その位置と大きさ、書体などから何らかの重みのある意味を感ぜられるということはあると思う。

奥のほうに写っている陶器はどのように見られるだろうか。これは実は急須であって、機能的な意味ではあまり前の盃ともCDボックスとも関係がなく、偶然に写ったように見えるかも知れない。実際、取るときは本当によく考えもせず、構図に入れただけである。第一これは急須で合って、機能的にはワインともベートーベンとも、まったく別世界のものである。ただここでは急須には見えず、ただ陶器であることだけは誰にも見て取れると思われる。ただし一応は意識的に入れたように記憶している。ただ構図上、何かなければ寂しいと思ったのかも知れない。それにしても普通には、意味が感じられないと思われる。

ところが、後から気がついたのだが、これも意味的に、CDボックスに関連付けることができるのである。ただ、それは殆ど100パーセント、私個人による勝手な意味づけに終わるようなものである。しかし、説明を加えれば多少は分かってもらえる可能性のあるような意味づけであると言える。というのは、

BEETHOVENの下の行にやや小さい文字で、「ピアノフォルテのためのソナタ集」とフランス語で書かれている。その下にさらに小さい文字で書かれているのは古楽器による演奏という意味だろう。これは日本では「フォルテピアノ」と呼ばれるところの、ベートーベン時代の複数の古楽器によるベートーベンのピアノソナタ全集(演奏はパウル・バドゥラ=スコダ)だからである。

最近はCDといえば中古しか買わず、ボックス入りの全集などもまったく買うこともないのだが、最近はフォルテピアノの音色に魅せられているところがあって、かなり高価なボックスを購入してしまったのであった。なぜか、もちろん四六時中ではないにしてもピアノの音色に対する興味が頭から離れないのである。音楽のプロでも、アマチュアでもなく、楽器としてのピアノに関わりがあるわけでもなく、音楽の鑑賞者としてもマニアックには程遠いのだけれども、そうなのである。これについては1月6日の記事に書いている。

そのフォルテピアノの音色は陶器に例えられると思ったのである。現代ピアノの音を磁器に例え、それに対してフォルテピアノの音を陶器に例えるのがふさわしい、フォルテピアノの音色をうまく表現できるのではと思っていたのである。もっとも陶器の持つ土の感触はピアノの音色に比較するにはちょっと違和感があるかも知れないが、磁器を現代ピアノに比し、対にして考えれば結構当を得ているのではと思う。こんなことを考えていた事が無意識的に働いて、写真をとるときにこの陶器を配置したのかも知れない。

テーブルの材質が木目印刷の合成樹脂で味わいの乏しいのが大きなマイナス点。構図的にもおそらくイマイチだろうと思う。同じ構図で何枚も取っていれば多少はもう少し良いのが撮れたかも知れない。



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