2011年9月4日日曜日

没後100年青木繁展 ― 青木繁と日本人の油絵



この9月1日、今開催中の「没後100年青木繁展」を見にブリジストン美術館を訪れた。この美術館を訪れたのは二度目である。最初に行ったのは数年前で比較的最近である。東京に移り住んでからはいつでも行けるような場所にあることは最初から知っていたが、何故か数年前になるまで行ったことがなかった。数年前に始めて行ったきっかけは、常設展示しているというセザンヌの有名な絵を見てみたくなったからだった。件のセザンヌやピカソを含めて有名な絵が沢山あるので満足だったが、その時に最も驚き、感動したのはクレーの大作であった。目の高さにガラスもかけずに展示してあり、館内は閑散として他に誰もおらず、触ろうと思えば触れるほどであった。もちろん触らなかったが、触りたくなるような材質でもあった(油彩と砂を混ぜた石膏)。いまネットで調べてみると「鳥」というタイトルのようだ。その時は殆ど至近距離で細部を見る時間が多かったせいか、全体の姿は覚えていなかった。ネットで見る小さな画像で全体の姿は分かるが、しかし実物を間近で見たときの豊かな印象は全く得られない。間近で細部を見ていると本当に言葉に表現できない味わいが何時までも無限に、沸き起こるというか、引き込まれるというか、とにかく尽きることのない豊かな味わいがあるのである。という次第で、私にとってブリジストン美術館はこの絵と分かちがたく結びついていた。しかし誰であってもこの美術館の所蔵品を見に行く人は絶対にこの絵を見るべきであると思う。

このブリジストン美術館で今回の特別展が開催されたわけだが、青木繁の代表作の幾つかがこの美術館の所蔵品であることも今回初めて知った。もしかしたら前回訪れたときに展示されていたかもしれないが記憶にはなかった。しかし何れも、すなわち「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」も有名な絵であって昔から中学校の美術史の教科書にも出ていたくらいであるから、どのような絵であるかくらいはもちろん知っていた。

実は、私は日本人の大家の描いた油絵というのは概してあまり好きではなかった。それらの中で、写真で知っていた青木繁の絵は、確かに他の大家の油絵とは少々違った印象があり、今回、この没後100青木繁展がテレビの日曜美術館で紹介されたのを見た事がきっかけで見に行ったのである。ネットで調べてみると終了日間近で「ただいま混み合っております」とのことで空いていると思われる平日の朝一番に見に行った。

大体見終わって ― といのはまだ最後の部屋があるのに気づかず、細長い部屋に長い机と椅子が並び、電気スタンドも使用して今回展のカタログを自由にみられる場所があって、そこでカタログをひと通りめくらせてもらったこともあり ― 思ったことは、西洋の印象派やそれ以前あるいは以後の画家の個人展を見終わった時の印象とそう変わらなかったという感慨である。何か日本の明治期の油絵特有の印象ではあまりなかった。もちろん明治を感じさせる要素自体は色いろある。特に毛筆書簡やその他の関連出品を見るとそうだ。中でも藤村の若菜集の初版本など、非常に保存の良い物が出品されていて、実に感慨深かった。

ところが最後の部屋がまだ残っていたのである。カタログに載っていた幾つかの絵をまだ見ていないことに気がついていたが、最後の部屋にそれらがあった。主として最晩年の、九州に帰ってから描かれた作品群である。ここの作品群を見た印象は、それまでと違い、ああ、やはり明治の日本人の描いた油絵だなという印象だった。端的に言ってそれは肖像画が多かったせいもある。紛れもなく明治の一般人をいわゆる肖像目的で描いた絵である。はっきり言って幾つもあった自画像と比べてつまらない。しかしそのような印象は風景画でもあった。海の絵でも、それ以前の絵は印象派の画家の油絵を見ている印象とそう変わらなかったのが、ここでははっきり明治の日本人の画家の絵という感じがした。

帰宅してからは、幾つかの名作を見た印象を思い起こし、あれこれ考えたのだが、まず、名作「わだつみのいろこの宮」を見ていた時の印象を言えば、全体の構図や色調、雰囲気、背景描写などは確かに見事で素晴らしいと思ったが、ひとつ不満があった。それは最も目立つ位置にある豊玉姫の顔立ちがあまり魅力的に思えなかったのである。最初この作品が不評だったのはこの辺にも理由があったのではないかと思われた。というのはこの、日本神話のお姫様の顔立ちが日本人離れしているのである。着ているものもむしろ洋服に近い。個人的に、西洋風の顔立ちの女性が好きではないとか魅力がないとかは全く思わないが、この絵の場合、適切な日本人のモデルが得られなかったので、西洋の画家の絵がモデルに取り入れられているような感じがする。もっと具体的に言えば、テレビ番組の解説にもあったように、イギリスのラファエル前派の絵である。というわけで、西洋風であるから魅力が乏しいというわけではなく、現実の女性がモデルになっていないためにインパクトと魅力に乏しい顔立ちになっているのではないかと思った次第である。しかし、顔立ちが西洋風である事も、日本神話を題材にした絵として、違和感をもたらしているとも言えないことはない。特に山幸彦の顔立ちは十分に日本人らしい顔立ちである。山幸彦の顔立ちと並べて違和感があることは否めないと思う。ただ、ここで山幸彦は裸で描かれている。もしここに普通、日本神話の神々としてよく描かれるような服装をしていたら、もっと違和感が大きくなっていたのではないかと思われた。また逆に別の意味で裸は違和感があるはずである。そこが神話という題材の自由さで、これは本家のヨーロッパの神々の絵をみれば明らかなことである。そう見ると、この違和感は、あるいは意図的なものかもしれない。また絵全体として、特に西洋的な油彩画としてこのような顔立ちや服装が調和しているのも事実である。何れにしても、発表当時の不人気の理由にそういうところかあったのではないだろうかと思う。個人的にもそのあたりに不満を持ったのは確かである。

ここで次ような推察ができるように思われる。作者青木繁が、神話を題材に選んだ理由のひとつに日本の着物姿を描きたくなかったということがあるのではないか、と思われるのである。日本の着物姿というのはすでに数多の日本画に描かれていることもあって、油絵に馴染まない場合が多いことは、多くの人が気付くところではないだろうか。単に着物の問題で終わってしまうとあまりにもつまらないが。ここから色々な問題に発展させられる余地は十分にあると思う。

作者が神話に目を着けたのはもちろん伝統的な日本の着物を描きたくなかったということだけではあり得ない。何れにせよ、日本人にとっての油絵や西洋画の技法の意味するところのものがなんであったのかを考える上で、確かにこの作家はこれからも多方面からの「研究」に値する作家に違いないと思われる。個人的にも今回、考えて書きたいと思ったことはむしろここからなのだが、今は時間がないので、今回考えた幾つかの断片をまとめるだけの時間もない。もっとも、時間がないということは能力がないということかもしれない。

以上、最近幾つかのブログのどれも更新していないので、比較的書きやすいテーマのこのブログを予め決めた時間枠でとりあえずまとめた次第。

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