2009年7月20日月曜日

「現代ガラスの五重奏」 ― 新宿高島屋美術画廊 ― 7月18日訪問


現下の不景気を吹き飛ばすような勢いで、豪華でボリュームのある作品群が並んでいる。
五人、何れの作家の作品も物量、アイデア、技法、技量を惜しみなくつぎ込んだ、という印象だ。

入り口近くにある神田さんの作品群は、普通の吹きガラスに使われるような程度を超えて多色、多量の色ガラス、とくに不透明の色ガラスを豪快と言えるほどに使っている。
やはり形や色によるパターンの感覚などに日本の陶磁器の伝統が感じられる。といっても、それで瀬戸物臭いというか、陶磁器的感覚に引きずられているような感じがするわけでもない。

他の作風、作家の作品も色遣いや技法は異なるが、大振りで技術的にも豪勢な作品群であることは共通した傾向だ。小振りの実用的な作品も厚みがあって、豊かさを感じさせる。

オブジェもボリュームのある豪快な作品である。ガラスのオブジェといえば、表現主義的な作風のものが以前は多かったような気がするが、そういう傾向は見られず、純粋に美しいもの、夢のあるものを、という感じだ。しかし以前見たことのある ―― 最近は余り見る機会が無かったが ―― チェコなどのヨーロッパの作家のこの手の作品とは何処か違いがあるような気もするが、これは気のせいかも知れない。

全体的に豪華で量感満点の作品群の中にあって、今回の案内状を頂いた広沢さんの作品は、量感はそこそこながら、色調の安定した、クラシックで端正な器の全面にわたって銀箔の繊細な図柄を描いたもので時代を超えた安定感がある。銀箔の場合、技術的にも金箔とは違うだろうなという印象はあるが、造形がはっきりと出るような印象はある。面積のバランスが難しそうな感じがした。ほかに小振りの透明なグラス全面にに金箔の文様を施した実用の酒器にも使えそうなものもあって、これらはヨーロッパの伝統的な作品だったとしてもおかしくないような感じだ。また陶器のような地味で味のある色調を出した大皿などもあり、これなども陶磁器の伝統が入っていながら陶磁器的感覚に引きずられていないのはこの展示会の他の作家作品同様に好感がもてる。


時節柄、こういう豪華な工芸品を見てどうしても考えてしまうのは、この時期、ガラス工芸など、工芸家にとってどういう時期なのかなと言うことだ。というのも最近、日本が格差社会になってしまったということが特に政治や経済社会問題として強調されることが多いからである。高度な美術工芸品が栄えた時代というのは多くは過去の格差社会だった。考えようによっては、美術工芸にとって格差社会の到来は良い時代の到来という考え方もできないこともない。実際、詩人や芸術家や思想家、諸々の文化人などでもそういう格差社会の方が文化的で望ましいと考える人たちも多かったし、今もいると思う。
このようなことを本格的に考え始めるとこの場で収拾がつかなくなってしまうが、そういう面から出発して工芸美術を考えるのもそれなりに意義はあると思う。
日本の場合、この不況の真っ最中で格差社会が固定化されてしまったら、たまったものではないが、中国のように急激な経済発展のなかで格差社会を拡大している国もある。世界は色々だが、ただ、良くも悪くも科学万能主義、あるいは科学信仰ともいえる傾向は世界を通じて浸透している。過去と現在の宗教の問題、心と精神の問題も考えなければならない。


新宿高島屋10階美術画廊という場所はもちろん、一流の美術画廊であるから、そこに出品されるものは美術品として評価されるものであり、いくら工芸品であっても誰もが気軽に購入できるようなものではないのだが、それでもデパートの中にあり、間口も広く開放的で入りやすい。機会があればもっと気軽に入って目を楽しませてもらうべきだろう。格差社会であろうと無かろうと、少しでもその分、心が豊になる筈だし、ひいては景気上昇にもつながらないとも限らない。


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