2009年9月23日水曜日

渋谷東急本店での二つの展覧会

この9月2日、案内を頂いたので、渋谷の東急本店にて平行して開催されていた日本クラフトデザイン協会・会員展「花咲くクラフト」と、日本ガラス工芸協会の「ガラスで遊ぶ茶の時間」の二つの展示会に行ってきました。両方合わせて非常に多くの作家が参加されていたうえ、こちらの方もしばらく工芸やガラス工芸について考える機会から遠ざかっていたこともあり、なにかまとまった印象を捉えることも難しかったのですが、とくに問題意識といったものにこだわらず、直接の印象を忘れてしまわないうちに、メモしておきたいと思います。

「花咲くクラフト」展のほうは場所の広さの割りに参加作家の人数が多く、かつ分野も多岐にわたっているためにやや雑然とした雰囲気もあり、作品展というよりも見本市といった印象を、受けてしまいました。これはデパート内という場所の関係もあるのでしょう。デパートの売り場の中にあるわけですから売り場とあまり変わらない印象になってしまっていたとも言えます。こういう点は、デパートという場所のデメリットかも知れませんね。デパートではやはり売り場との差別化というか、画然とした区別が欲しいように思います。その点、同じ店舗でも大型書店内の催し場などのほうが特に差別化に意を用いる必要もなく、有利かも知れないと思います。もちろんデパートのメリットも沢山あると思いますが。

ガラス作家の作品ももちろんありました。記憶にのこっているのは新島の火山岩を利用して淡いグリーンの色を出したという吹きガラスや新しい用途を開発した作品群などで、どちらかというと純粋な美というよりも、自然との関わりとか、生活との関わりとかを追求したと見られる行き方に思われました。これが「クラフトデザイン」の方向性なのでしょう。・・・あらためて思ったのですが、こういう行き方にはそれに適した分野というものがあるのではないかな、ということです。というのは、この会場で目立っていたのは染色などの織物関係の作品でした。あと、陶器です。もちろん材料的にどの分野でも色々な行き方があるべきだし、それぞれ独特の良さがあることも確かですが、一方で素材の可能性という面で、有利な、あるいはより表現意欲をみたせるような方向性があることも確かで、ガラス工芸家が一方で高級クリスタルガラスの質感を生かした高級品をめざし、また別の一方で彫刻的というか表現的な方向を目指し、日常生活や自然に溶け込んだ方向性に向かうことが少ないのも無理からぬことと思えてきます。

もっともこんなことはすでに幾度となく言われてきたことでもあると思いますが、それを意識させられたのはやはり、展示の仕方から来ていたことが大きいと言う印象です。多くの分野、あるいは方向性の作品群をひっくるめて展示するにはよほど考え抜かれた取り合わせと演出をしなければ、改めてことさら提示する必要もない問題点を浮かび上がらせることにもなるのではないかという印象です。もう一つ言えば、純粋な展示作品スペースとべつに販売に向けた展示スペースがありましたが、余り展示方法にはっきりとした違いが見られなかったことも気になるといえば気になります。


「花咲くクラフト」展をみてから、エスカレーターを一階分降りて「ガラスで遊ぶ茶の時間」の方に入場しました。こちらのほうも参加作家は多いものの、それでもガラスという単一の分野であるだけに、照明などを含め、ガラス作品に適した、というか、美術作品の展示らしい展示がなされていたようです。会場に入ったとたん、クリスタルガラスの質感、重量感、高級感が会場全体に充満していることが感じられました。

参加作家が多いだけに、全体をみると多彩な表現や傾向が楽しめる内容になっていたように思います。好みの作品を見つけて購入するにも、これだけ多彩であれば便利でしょう。茶器がテーマですが、酒器に使えるようなものもあったり・・・、実際に酒器も出品されていたのかも知れません。・・・ただこれだけ多くの作家が一同に会していると覚えておきたい作家の名前を忘れてしまいがち。

前回、新宿高島屋ギャラリーで見た作家の方々の作品もあり、そのなかの幾つかの作品群はそのことに気づきました。茶器であるだけに相応に小振りであったことは当然ですが。
前回、広沢さんの作品に陶磁器の感触を感じたことを書きましたが、今回、茶器であるだけに、なおさらそれが感じられました。当然ですが、陶器よりも磁器の感触です。不透明色のガラスで磁器における釉薬の感じが出ています。やはり、ガラスでも、単純であっても微妙な形の差異、色調を追求するには不透明にならざるを得ない事は確かなことのようです。・・・・・


最後に、今日たまたま、インターネットのBBCニュース科学欄で面白いガラス彫刻が紹介されていたので、リンクしておきます。ガラスで何と、もっとも危険な何種類かのウィルスの形をかたどったものだそうです。相当のインパクトのある作品が写真で楽しめます。BBCニュースの科学欄では時々、科学と関わりのある芸術作品が ― 大抵は写真ですが ― 紹介されることがあって楽しめます。

2009年7月20日月曜日

「現代ガラスの五重奏」 ― 新宿高島屋美術画廊 ― 7月18日訪問


現下の不景気を吹き飛ばすような勢いで、豪華でボリュームのある作品群が並んでいる。
五人、何れの作家の作品も物量、アイデア、技法、技量を惜しみなくつぎ込んだ、という印象だ。

入り口近くにある神田さんの作品群は、普通の吹きガラスに使われるような程度を超えて多色、多量の色ガラス、とくに不透明の色ガラスを豪快と言えるほどに使っている。
やはり形や色によるパターンの感覚などに日本の陶磁器の伝統が感じられる。といっても、それで瀬戸物臭いというか、陶磁器的感覚に引きずられているような感じがするわけでもない。

他の作風、作家の作品も色遣いや技法は異なるが、大振りで技術的にも豪勢な作品群であることは共通した傾向だ。小振りの実用的な作品も厚みがあって、豊かさを感じさせる。

オブジェもボリュームのある豪快な作品である。ガラスのオブジェといえば、表現主義的な作風のものが以前は多かったような気がするが、そういう傾向は見られず、純粋に美しいもの、夢のあるものを、という感じだ。しかし以前見たことのある ―― 最近は余り見る機会が無かったが ―― チェコなどのヨーロッパの作家のこの手の作品とは何処か違いがあるような気もするが、これは気のせいかも知れない。

全体的に豪華で量感満点の作品群の中にあって、今回の案内状を頂いた広沢さんの作品は、量感はそこそこながら、色調の安定した、クラシックで端正な器の全面にわたって銀箔の繊細な図柄を描いたもので時代を超えた安定感がある。銀箔の場合、技術的にも金箔とは違うだろうなという印象はあるが、造形がはっきりと出るような印象はある。面積のバランスが難しそうな感じがした。ほかに小振りの透明なグラス全面にに金箔の文様を施した実用の酒器にも使えそうなものもあって、これらはヨーロッパの伝統的な作品だったとしてもおかしくないような感じだ。また陶器のような地味で味のある色調を出した大皿などもあり、これなども陶磁器の伝統が入っていながら陶磁器的感覚に引きずられていないのはこの展示会の他の作家作品同様に好感がもてる。


時節柄、こういう豪華な工芸品を見てどうしても考えてしまうのは、この時期、ガラス工芸など、工芸家にとってどういう時期なのかなと言うことだ。というのも最近、日本が格差社会になってしまったということが特に政治や経済社会問題として強調されることが多いからである。高度な美術工芸品が栄えた時代というのは多くは過去の格差社会だった。考えようによっては、美術工芸にとって格差社会の到来は良い時代の到来という考え方もできないこともない。実際、詩人や芸術家や思想家、諸々の文化人などでもそういう格差社会の方が文化的で望ましいと考える人たちも多かったし、今もいると思う。
このようなことを本格的に考え始めるとこの場で収拾がつかなくなってしまうが、そういう面から出発して工芸美術を考えるのもそれなりに意義はあると思う。
日本の場合、この不況の真っ最中で格差社会が固定化されてしまったら、たまったものではないが、中国のように急激な経済発展のなかで格差社会を拡大している国もある。世界は色々だが、ただ、良くも悪くも科学万能主義、あるいは科学信仰ともいえる傾向は世界を通じて浸透している。過去と現在の宗教の問題、心と精神の問題も考えなければならない。


新宿高島屋10階美術画廊という場所はもちろん、一流の美術画廊であるから、そこに出品されるものは美術品として評価されるものであり、いくら工芸品であっても誰もが気軽に購入できるようなものではないのだが、それでもデパートの中にあり、間口も広く開放的で入りやすい。機会があればもっと気軽に入って目を楽しませてもらうべきだろう。格差社会であろうと無かろうと、少しでもその分、心が豊になる筈だし、ひいては景気上昇にもつながらないとも限らない。